2011年11月1日火曜日

CUT 2011年6月号 岡田麿里インタビュー

――岡田さんの作品には、「青春」「群像劇」っていうモチーフがありますけど、より大きな視点で見ると、オリジナルにせよ原作ものにせよ、それは居場所をめぐるお話という言葉に集約できると思うんですけども。
「そうなんですよね、作品だけじゃなく、わたし自身もそう。居場所がほしい、誰かに求められたいって欲がほんと強い。どう考えても痛い目にあいそうな仕事なのに、誰かがすごく必要としてくれたら、それだけで引き受けちゃったり(笑)。でも、実際に自分の居場所がそこにあるってファンタジーは、信じてなくて。そこで満たされちゃったら、書けなくなっちゃうような気もするんです。昔、仕事先の人に、『おまえは子供を産むな』って言われたことがあって。『産むなら十月十日前に申請しろ』って言われて。子供を産むとおまえのシナリオは変わるって言われたんです。そのときは、意味がよくわからなかったんだけど。いまになって思えばわかるというか。わたしの書きたいって原動力は、たぶん、自分に欠陥があるから生まれるのかなって。ほんとうは、約束されたパライソみたいなものが書けたほうが、アニメ的にはいいのかもしれないって思うんですよね。だけど約束できないこととか、約束できないことを約束したがるその気持ちとか、そうやってなにかを求めてる状況のほうが幸せなことだってあるし。変な言い方ですけど。終わっちゃうものとか、諦めちゃったものとか、気づいたら過ぎちゃっていたものとか、そういうもの。いま、ここにないものというか……うん。居場所っていうよりも、“いま、ここにないもの”を書きたいっていうのはありますね。『あの花』だったら、かつてあったもの? それは再び手にした瞬間に終わっちゃうものかもしれないし、もっているときは気付かないことかもしれないし……わたしは、いつもなにかが足りない人たちを書いていきたいっていう思いはありますね。でも、『それは手に入んないんだよ』って言うんじゃなくって、『いつか手に入るかもね』っていうぐらいの気分で。求めて足掻くのってかっこいいじゃん、みたいな。すっごい漠然としてますね、すみません」

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